多摩の戦争遺跡 その1 調布飛行場 掩体壕
先日、調布飛行場を見てきたのだけど、戦時中の史跡「掩体壕」の訪問を断念したのが心残りだった。
掩体壕は個人の敷地にあるので見れないとばかり思っていたが、これは私の下調べ不十分だった。実際には一基は道路脇にあって自由に見られる。残る2基は東京都が整備した公園内に保存されていることがわかった。
ということで再挑戦。ZRXちゃんに跨り出発。
まず道路わきの1基はこんな具合です。R20(甲州街道)の白糸台立体交差の下にある。こんなのが突然住宅地にあるので驚かされる。当時は住宅地ではなかったんでしょうが。
コンクリートが老朽化して崩落の危険ありということだろうか、立ち入りできないように柵で囲われているけれど、外からでも十分によく見える。昔はもっと地表に露出していたらしいが、周囲の地面が全体的に土盛りされたためか、半ば埋まっている。
別の壕が保存されている公園は、調布飛行場の管制塔のすぐ北側にあった。なんだ前回の調査不足。
こちらは丁寧な解説版と模型とともに展示してある。なるほど、こういうふうに格納していたのか。
陸軍三式戦闘機・飛燕、B29爆撃機の迎撃用に使われていたのだろう。”液冷エンジンを採用しているため高高度での性能低下が小さかった(略)調布飛行場を本拠とした首都防衛戦闘機隊の飛行第244戦隊が、体当たり戦術を併用して、B29を相当数撃墜した”(Wikipediaより)。前回の記事で私が書いた「特攻」とはこのことでした。
液冷倒立V型12気筒はダイムラーベンツ製DB601型のライセンス生産。33,900cc+スーパーチャージャで1100馬力(公称)。
なぜ「倒立」かというと、クランクシャフト=プロペラ軸が機体の最上辺にあったほうがパイロットの視界をさえぎるものがないため。クルマではその逆ですね。クランクシャフトが下にあったほうが車体を低くできる。
エンジン製造には困難をきわめたようだ。ニッケルの使用を制限されたためクランクシャフトの強度が不足。工作機械不足のため軸受けを手作業で研磨せざるをえず精度が低く焼付けをおこしやすいなど苦労が絶えなかった。
不慣れな水冷のため運用・保守上でのトラブルも多く、稼働率はそれほど高くなかったようだ。冷却系の不具合によるオーバーヒートやオイル漏れなどだそうですが、なんだか古いバイクのこといってるみたいだ。
それよりも私にとって重要なのは、こいつの開発・製造は「川崎重工」だってことだ。やっぱりバイクと飛行機って相性よさそうな気がする。
ところで飛燕はその後、エンジン製造が遅滞しエンジン無しの機体だけが大量に滞留してしまったため、急遽三菱重工製の空冷エンジン「金星」に換装され「五式戦闘機」として再出発した。ZRXにXJRのエンジンを積んでしかたなく売り出したってとこでしょうか。五式戦はエンジン換装による軽量化と飛燕本来の頑丈な機体が相乗効果をもたらし、非常に評価の高い戦闘機だったとのこと。
こういった木立の中に隠していたようです。
木立の中の展望台からは調布飛行場が一望できる。
笑っちゃったのは、展望台の屋上に地元の高校生が早朝だというのに10人ほど寝転がっていたこと。きっと昨晩から展望台で合コンでもしていたにちがいない。なんかこういう「バカ珍」なやつらって憎めないんだなー。おじさんは女子にだけ「こんちは」って爽やかにあいさつしました。
すると、むさい男子のひとりから「すみません、男って欲望のカタマリだと思うんすが、やっぱりそうっすよね?」と人生相談(笑)を持ちかけられた。「ああ、そうだよ。25-6歳まではな」と渋いおじさんの回答をテキトーに返してあげると、「そっかー、やっぱり仕事で疲れて枯れちゃうのかなー」とか小声でボソボソ仲間と相談している。まあ、きっと彼らの人生に良きアドバイスになるに違いない。
そういえば前回の記事で「東東調布飛行場」の門柱は誰かがいたずらしたものらしいと書きました。地元の伝説?では、これは米軍の徴用中に米軍人がやったらしい、という話があるらしいです。(「らしい」ばっかで信憑性薄い)
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コメント
●南行さん
戦中の飛行機屋さんは戦後、自動車・バイク・電車(新幹線)などに転身したらしいですね。たしかにチョロい仕事だと思います。
「誉」を設計した中川氏は敗戦その日までジェットエンジンを試作していたとか(違ったか?)
そう考えれば戦後の輸送機械の大発展は必然だったんでしょう。
投稿: ケビン | 2009年7月 5日 (日) 06時26分
また行ったんですか。 横浜・港北あたりから調布ってのはひかくてき行き易い場所ですね。
いろんな遺構や展示物あるならば、例のカフェでランチだけでなくいろいろ楽しめそうですね。
・・・・・・・・
飛燕を作っていたカワサキのエンジニアがZ1の頃まで残っていたでしょうが、バイクのエンジンなどチョロい仕事であったのと同時に飛燕時代のエンジン不良墜落の悪夢にうなされていたことを想像すると感慨深いものがあります。
投稿: 南行 | 2009年7月 4日 (土) 22時06分